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■ 一人ぼっちの人間関係 ■
2015.2.10

住めばまた 憂世なりけり よそながら
□□□□□□□□思ひしままの 山里もがな
 
□□□□□―吉田兼好(兼好法師集より)―
 吉田兼好は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人であり出家遁世した随筆家で、これは彼が残した最後の和歌と言われているものです。
 兼好は神職の家柄でしたが、その位は低く宮中ではいろいろと納得できない出来事に遭遇しました。山里では都のように煩わしい思いをすることなくこころ安らかに暮らせるだろうと思った彼は俗世での生活を止め、一人山里に籠り庵を結びます。しかし山里に住んでみても鬱々とした思いから抜け出せないという気持ちをこの和歌は詠んだものです。
 最近、「便所飯」なる言葉を耳にします。大学の新しい環境で友達との関係がうまく築けず孤立して、昼ご飯を皆と一緒に食べることが苦痛になります。といって1人で食べているのを人に見らるのも嫌なので、便所で一人で昼食をとるようになることを言います。便所で食べていても、『皆は友達同士で楽しそうに食べている』という思いがあり孤立感がついて回ります。結局1人になっても、皆といる時と同じように孤立感というストレスからは解放されないのです。
 都から山里に移っても鬱々した思いから抜けられない兼好の例や便所飯の例は、ストレスは自分の置かれている環境ではなく自分自身の心の中に何らかの原因があることをものがたっています。ストレスを処理するには自分の心の中の原因は何なのかを知ることが課題となります。
(森 正博)
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