ある日妻は風邪を引いて寝込んでいました。夫は仕事帰りに妻の好きなケーキを買ってきてくれました。妻はその夫の心づかいに幸せを感じたのですが、そのとき妻は食欲がなかったので、すぐにケーキに手をつけませんでした。すると、夫が「せっかくお前のために買ってきてやったのに!何で食べないんだ!」とひどく怒ったのです。夫の怒りを発端に夫婦の間で気まずい空気が漂いました。
夫は妻の好きなケーキを買ってきたら喜んで食べてくれると期待していたのです。しかし妻がすぐに食べなかったのは妻への思いやりを無視されたと受けとったのです。これが夫が妻を怒ったことの原因だったのです。一方、怒りをぶつけられた妻は食欲がないことを夫に理解してもらえないことに不満が生じたため幸せな思いは吹き飛びました。
このできごとの背景には、双方に自分の思い通りに行動することが互いの愛情であり理解であるという思い込みがあったのです。自分の思い通りに相手が行動することで感じる快い感情は麻薬の快感情ですが、一般にこの感情を愛情と勘違いされることが多いのです。愛情という快感情には相手を自分の思い通りに行動させるという性質はありません。それぞれが感じ・考え・判断し行動することを認め合える感情であって、互いに相手の考えや行動を束縛することはないのです。よって自分の意に反した行動をとったとしても不快な感情を生じることはありません。このように二人の間に麻薬の快感情や不快な感情が混在すると、愛情の交流の場が怒りのぶつかり合う修羅場と化しうるのです。共存の喜びとなる愛情が深まるには、麻薬の快感情や不快な感情をどのように対処するかが課題なのです。
汝の考えは汝にしか
通用しないものと知ること
これ即ち安楽なり
汝の行動は汝にしか
意思決定できないものと知ること
これ即ち安楽なり

(森 正博)